#連載#決済の闇#不正を暴く探偵の事件簿
午後2時、とある急成長IT企業のオフィス。
全員が普段通り仕事をしているフロアで、ある取締役のパソコンのブラウザがそっと閉じられた。
直前まで画面に映っていたのは、海外の銀行口座への「11億円」の送金完了画面だ。
世間はまだ誰も知らない。明日の朝、この会社が「巨額のなりすまし詐欺被害に遭った」と記者会見を開き、株価が急降下して上場廃止級の大騒動へと発展していくことを。
だが、私の目は騙されない。これは単なる「哀れな詐欺の被害」などではない。今、この瞬間も進行している、緻密に計算された内部犯行(所得隠し)の可能性が極めて高いのだ。
🕵️♂️ 違和感その1:なぜ「即日送金」が通ってしまうのか?
犯行声明(とされる偽のメール)にはこう書かれている。
「これはCEO直轄の極秘の買収案件だ。1分でも遅れれば契約は破綻する。今すぐ指定の口座へ11億円を振り込め。誰にも口外するな」
なるほど、典型的なビジネスメール詐欺(BEC)の手口だ。心理的なタイムリミットを課し、ターゲットをパニックに陥らせる。
だが、考えてもみてほしい。いくらパニックになったからといって、通常の上場企業が「11億円」もの大金を、数時間で、誰のチェックも経ずに送金できるわけがない。もしそれが可能なら、その会社の金庫には最初から鍵がかかっていなかったも同然だ。
通常ならあり得ない「即日送金」のボタンが、なぜ押されたのか? 謎を解く鍵は、犯人が賢かったからではない。社内の決済システムが「あまりにもガバガバすぎた」からだ。
🕵️♂️ 違和感その2:「騙された」という最高の免罪符
私がこの事件を「内部の人間による所得隠し(横領)」だと睨む理由は、まさにここにある。
もし、あなたがこの会社の内部の人間で、会社の金を合法的に(?)ポケットに入れたいと考えたらどうするだろうか? 正攻法で横領すれば、すぐに監査で見つかって逮捕される。
だが、「巧妙な偽メールに騙された被害者」のポジションを手に入れたらどうだろう?
「偽物のメールの完成度が高すぎて、本物のCEOの指示だと信じ込んでしまいました。まさか詐欺だなんて……」
そう言って涙を流せば、世間や経営陣からは「不運な被害者」として扱われる。その裏で、流出した11億円が自分の用意したペーパーカンパニーを経由して、個人の秘密口座へと還流していたとしても、だ。
1人の担当者、あるいは1人の役員に「送金の全権限」が握られている環境は、「騙されたフリをした内部犯行」にとって、これ以上ない極上の温床なのである。
🕵️♂️ 探偵の結論:この犯罪を不可能なミッションに変える方法
メールの文章をどれだけ疑っても、人間の「悪意」や「うっかりミス」は防げない。 今、このH社に必要なのは、社員のモラルに期待することではなく、物理的に「1人では絶対に送金できないトラップ」を仕掛けておくことだった。
それが、ネット銀行などに標準装備されている「2段階承認機能(ワークフロー)」だ。
- 1人がデータを作っても、別のもう1人が承認しなければ1円も動かない。
- 承認の際には、メールだけでなく「紙の請求書」や「システムのログ」の突き合わせを必須にする。
この仕組みさえあれば、「騙されたフリ」という言い訳は一切通用しなくなる。なぜなら、犯行を行うには「2人の人間が共謀して、電子的な証跡をバッチリ残す」という、あまりにもリスクの高すぎる橋を渡らなければならなくなるからだ。
今、あなたの会社の送金ボタンは、1人の人間に委ねられていないだろうか? 明日の朝、H社のようになるのは、あなたの会社かもしれない。